松筑園代表者紹介

【田中耕二】 

 顔の彫りが深く、日本人離れした風貌をしている田中耕二さんは現在、四十七歳。
屋号の松筑園が示すように、福岡県柳川市近郊の大和町で生まれている。
小学生のとき、父親とともに現在の下関へ転居し、
父親が創始した松筑園を引き継いだ。

「町中に堀が巡らされた水郷の町の隣ですが、
幼いときから川魚を食べていたせいか、こちらに移ってからというもの
海水魚の刺身が食べられず、困っています」。
 下関といえば、フク(下関では福を呼ぶ魚としてフグとは濁らず、フクと呼ぶ)をはじめ、
瀬戸内、日本海、響灘、また捕鯨船の基地があるため、
クジラまであるという海の食材に恵まれた土地である。
したがって新鮮で種類の豊富な魚介類を口にすることができるが、
田中さんは刺身が苦手。

やはり、淡水魚特有のあの泥臭さがないと口にはいらないという。
生まれ育った土地の環境が味覚まで影響していると語る。

「九州の筑後平野であれば、何の変化もない庭ができがちですが、
下関の場合、非常に変化のある地理的条件に恵まれているので、
結構楽しんでいます」。
 味覚だけでなく、景観に対しても繊細さをみせている。
本号の巻頭に登場願った四人の中で、
異なる土地で生まれ育ったのか、違った観点を持つ人でもあるのだ。
 日本人離れした顔立ちで、九州生まれと聞くと、
何となく豪胆で意志の強さを持つイメージを描きがちだが、
田中さんの言動を眺めていると、決してそうでもないことに気づくだろう。
語る口調もやわらく、ジョークも頻繁に飛び出すからだ。
だからといって、侮れないのが田中さんなのだ。
 先にご紹介した森 和義さんや殿井正敏さん、そして田中さんの三人は、
何でも語り合えるような交流が長年続いている。
お互いのことは大概知り尽くしていそうだが、
お二人の口からそろって出たのが、
「掴みどころが無い」という言葉であった。
 何故かといえば、軽いジョークを飛ばすかと思えば、
納得のいかないことが話題に上がると、スイッチを切り替えたように表情が変わり、
核心を衝いた言葉が出てくるからだ。
こうした本質を見抜く力というか眼力は、他人ばかりでなく、
田中さんの自己の内側にも向けられてきたのだろう。
 田中さんも初めから本号にご紹介したような庭は、もちろんつくっていなかった。
取材をする前にみなさんの庭を、いくつか見せていただいた。
その中でも田中さんの庭は、年代が新しくなるほど、
構成や配植が良くなってくるからだ。
この変化していく転換期となった庭は、三十歳前半に手がけたものだが、
現在とは比較にならないほど、ありふれた構成であり、
主石、主木を中心にした全時代的な庭であり、
焦点が定まらないものであった。
 ところが、最新作の庭を見ると、
空間を意識させるような「間」が取ってあり、
庭全体を視野にいれたような構成であることに気づく。
 どのような変遷を経て、現在の田中さんの作風が形成されてきたのか、
興味が尽きないが、やはり森 和義さんや
殿井正敏さんとの出会いが大きかったと確信したい。
お二人と出会うことによって、何がどう違うのか、
瞬時に掴み取っていったのかも知れない。
それを自分のこととして受け止めていけたからこそ、
現在の田中さんがある。
 純粋な庭づくりの話をする場合、
核心を衝いても自分のこととして受け取れない人が多い。
つまり、その既成事実を認めたくないからであろう。
だから他人事のように聞く人が多い。
 そのような状況の中で田中さんは、
勘を鋭く働かせて、自分のこととして吸収してきた人なのだろう。
この、だろうとは、田中さんが言葉によって明確に語っていないからで、
その意味で「掴みどころがない」ということになるのだ。(豊)
 
平成12年発行 「庭」140号(建築資料研究所発刊)より記事抜粋